みんなの九州きっぷ11~熊本城~
前回 の続き。旅は3日目、この日は熊本市内を中心にまわります。最初は熊本市のシンボル、熊本城。
熊本城
熊本城は築城の名手・加藤清正によって江戸時代初期に完成したお城で、加藤氏が去った後は肥後藩主細川氏の居城でした。周囲5.3kmの広大な敷地には天守閣を中心に、50ほどの櫓があったとも言われています。しかし建物のほとんどは西南戦争の時に起こった火災で失われてしまい、現在ある天守閣は1960年に外観復元されたものです。
こちらの熊本城も、2016年の熊本地震で大きな被害を受け多くの建物や石垣が崩壊しました。建物の端がひと筋の石垣のみで立っている姿は記憶に新しいかと思います。現在は復旧工事中で、見学用の通路が設置されて特別公開がおこなわれています。
工事中のため、城内を自由に歩き回ることはできませんが、このように立派な見学通路が設置されており普段とは異なった高さから石垣やお城を眺められます。
入口から通路に上り、最初に見えてくるのがこの数寄屋丸二階御広間という建物。復元されたものですが、地震で基礎の部分の石垣が崩壊してしまいました。建物自身もひしゃげています。地震から4年たった2020年でもまだこの状態。復旧を要する箇所の多さがよくわかります。
少し行くと天守が見えてきました。天守閣は外装の工事は終了し、2021年春からは登れるようになるみたい。
この辺りには、古い石垣に新しい石垣を継ぎ足した箇所があり、石垣の美しさが感じられる場所となっています。
本丸を通って天守の前までやってきました。修復後すぐということで、瓦や壁がとてもきれい。
見学通路から下を見てみると、このように石垣が崩れたままのところもたくさんありました。
また、石垣にはツタも絡み、放置された城跡っぽさがでてきています。城内を自由に歩き回れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうです。
緑が美しい堀の端に建つのは戌亥櫓。方角を表す名前の付いた櫓です。
右手にあるプレハブは解体した資材を保管しておく倉庫です。
ほかのお城では天守閣といわれてもおかしくないほどの大きさの宇土櫓。こちらは江戸時代に建てられたもので、熊本城では数少ない現存の建物になります。地震で壁の漆喰が割れたり、瓦が外れたりはしましたが、崩壊はまぬがれてしっかり立っています。
加藤神社
現在の熊本城をつくった加藤清正を祀った神社、加藤神社というのが城内にあります。
熊本市電にも超低床車がいます。紫のお花とともに一枚。日本全国の路面電車でこの形の車両が増えてきていますが、旧型車を全部置き換えるにはまだまだかかりそう。
熊本市の新しいシンボル、SAKURA MACHI Kumamoto。バスターミナルを備えた大型商業施設です。熊本市でバスに乗るならほとんどここを経由します。路線バス乗り場も高速バス乗り場っぽくなっていて、バスターミナルとしてはおもしろいのですが、旅行者が使うには少しややこしすぎ…
路線バスの系統図を読み解くのは大変です。路線バスの時刻表や路線図も、鉄道のようにわかりやすくなってくれればと思います。