静岡レトロ私鉄8~天浜線・天竜二俣車両区~
2019年秋に大井川鉄道を訪れた時のことを前回まで書いてきましたが、大井川へ行く1日前、浜名湖の北側を走る第三セクター・天竜浜名湖鉄道(通称:天浜線)にも行ってきました。今回から数回、その天浜線について書いていきます。
天浜線とは
天浜線は東海道本線のバイパス線としてつくられた旧国鉄二俣線を引き継いだ路線で、JR東海道本線の新所原駅から掛川駅までを浜名湖の北側を通って走っています。二俣線の全線開業は1940年(昭和15年)とあたらしめですが、開業当時の木造駅舎や構造物が現役でそのうちいくつかは登録有形文化財となっており、歴史を感じられる路線となっています。
この区間にどうしてバイパス線がつくられたのかというと、戦争時、東海道本線は物流の大動脈であったためこれが止まるというのはあってはならないことでした。そして浜松には軍需工場が多くあり、空襲でねらわれやすいということでもし空襲によって線路が被害にあったら物流の大動脈が止まってしまいます。そこでもしものために別のところを通るバイパス線をつくろうということで生まれました。
二俣機関区
この時はいくつかの木造駅舎と天竜二俣駅にある二俣機関区を訪れました。最初はその機関区について書いていきます。
天竜二俣駅の隣には天浜線をはしるすべての車両が所属する天竜二俣車両区があります。こちらの車両区は国鉄時代の遠江二俣機関区で、蒸気機関車が所属していました。今でもその時の転車台と扇形車庫を利用しており、1日2回、見学ツアーが開かれています。見学料は200円。
上の写真は扇形車庫。扇形車庫はなんと木造。昭和に作られたものですが、社会情勢からか鉄筋コンクリートでつくるのはコスト的に難しく木造になったそうです。それにしても蒸気機関車の車庫が木でできているって燃えたりしないのかなと思ったり。
見学ツアーでは転車台を回してくれます。これも古いものだと。今ではディーゼルカーなので方向転換は不要ですが、扇形車庫を使用している都合上、転車台も現役となっています。
ツアーには車庫の端っこにある鉄道歴史館の見学も含まれています。もともと作業室だったであろうところには国鉄時代の鉄道用品や工具、駅名標などが展示されています。
縦型駅名標がたくさん。
駅に掲げられたであろう看板と空襲警報の看板。空襲警報発令のほうはどこに掲げたんでしょうか?駅かなぁ。
車庫の横は事務所となっていますが、こちらも木造。
従業員用浴場。今は使われていませんが、こちらも文化財。
「警戒」看板。信号とかのところにつけて使用したのでしょうが、どうしてこれひとつだけ外においてあるのでしょう?
SLの給水塔。そんなに大きくないですが、コンクリート造りの重厚な建造物。
機関区見学ツアーはおおよそ45分ですが、説明もわかりやすく十分に楽しめる内容でした。
天竜二俣駅
車両区が隣接する駅、天竜二俣駅です。浜松市天竜区の中心駅ですが、隣の二俣本町駅のほうがまわりに住宅などが多いとのこと。国鉄時代は遠江二俣駅という名前で、車両区の隣なのでこの駅発着の列車も多く、構内はかなり広めでホームも3面あります。
駅舎、ホーム上屋は登録有形文化財。木造の上屋が並ぶ風景というのもあまり見られない光景です。
駅舎はこちら。長い軒が特徴の木造駅舎。駅舎にはラーメン屋が入っています。天浜線の木造駅舎は、一部が店舗になったりとうまく活用されているものが多いです。
縦型のホーロー看板はけっこう多く残っています。
駅前にはC58形蒸気機関車が保存されています。国鉄時代二俣線を走っていたのがC58なんだと。本線のバイパスとしてつくられただけあって、大きめの機関車でも走れるようになっていたようです。
次回からは天浜線の他の駅舎について書いていきます。