うどんの国とレトロ Part1
8月11日、青春18きっぷを使い、日帰りで高松まで行ってきました。
今回の目的は
うどんを食べる
高松城へ行く
ことでんのレトロ電車にのる
レトロ駅舎を見る
大阪から高松まで
なるべく長い時間滞在したかったので、始発で行きました。近鉄の始発で合わせると、大阪駅は6:25発の姫路行き快速。休日だったのでまさかの新快速がないという…快速は遅い。いや、新快速が速いだけかもしれない。
でも座席はクロスシートで空いていたので、快適には行けました。
7:56に姫路到着。次は8:01の山陽本線岡山行き。これがひどい…4両しかないので通勤ラッシュ並みの混雑。18きっぷのシーズンなので、みんな考えることは同じだからこうなるみたい。結局岡山までで降りた人見たのは10人ぐらいだったような気がします。
車両は真っ黄色の113系でした。
立つこと約1時間半、9:29に岡山駅到着です。次は9:31発のマリンライナー17号高松行き。ここでやっと座れるかと思ったが…無理でした。立ちでも狭いくらいの混雑。瀬戸大橋渡るときの景色を見たかったのに、窓の日よけを上まで上げない人がいるせいでほぼ見えず。なかなか残念な結果となってしまいました。といってもメインは香川に着いてから。10:26、高松駅に到着です。
レトロ電車
ことでんレトロ電車の高松築港駅出発は10:35なので、急がなくてはなりません。高松駅から高松築港駅までは歩いて5分ほど。何とか間に合い、横の踏切で待ちます。
3両つなげて高松築港側から120号ー500号ー23号(写真では3両全部見えませんが…)。第一印象、かわいい。”琴平”の文字がなんとも言えない良さ。
レトロ電車は大正~昭和初期に製造された電車で、現在はイベント列車として月一回走っています。通常ダイヤに追加という形なので、特別料金はいりません。
こちらは1000形120号。ことでん開業時に新造された電車で、大正15年(1926年)製造。
5000形500号。上の1000形の増備で昭和3年(1928年)に製造されました。
20形23号。大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)で走っていた電車。大正14年(1925年)製造。まさかの元近鉄車。レトロ電車を見たかったのはこれがいたからでもあります。
詳しくはことでんホームページの車両図鑑 をみてください。
現在4両あるレトロ電車ですが、2021年での引退、廃車が決まっています。100年近く前の車両なので、維持も大変だと思います。むしろよく今まで持ったものと思います。ということで、見たい方はお早めに。
電車の話はいったんここで終わり。レトロ電車にはまた後で乗車します。
高松城跡
今回の目的である高松城に行きます。高松城跡は、現在は玉藻公園という公園になっています。入園料は大人200円。
先ほどの電車の後ろに写っていた石垣はこのお城のものです。というわけで、玉藻公園は高松築港駅のすぐそばにあります。高松城は、天正16年(1588年)に生駒親正という人により築城されました。豊臣の時代です。その後、江戸時代になり1642年、水戸徳川家関連の松平頼重が讃岐の藩主となりました。明治時代には軍が入り、天守が解体されるなどありましたが、その後また松平家に払い下げられ、披雲閣が別邸として建てられました。空襲で門が焼かれるなどありましたが、櫓や石垣などが残っており現在は国の史跡となっています。
中を見ていきましょう。
こちらは鞘橋という橋。天守に続く唯一の橋で、これを落とすと天守には船がないと近づけません。
天守跡にのぼってみますと、瀬戸内海が見えます。海のそばに建てられたお城なので、眺めは抜群!堀の水も海から引いているので、よどんでいません。
こちらは先ほどの鞘橋が見えます。奥に写っているのが高松築港駅のホームです。
天守台から降りて披雲閣の方へ。そこから見た天守台です。
艮櫓。重要文化財だそうです。入ってきたところのちょうど対角にあります。こちらが江戸時代の大手になるそうです。
披雲閣は中に入ることができたので、入ってみました。中には蘇鉄の間というものもあり、そこから見える植えられた蘇鉄がきれいです。
また、披雲閣の庭園は名勝に指定されています。近代の日本建築もよいものです。
最後は月見櫓。海沿いのいちばん眺めがいいところにあります。到着を見るために使われていたみたいです。この櫓は中に入れます。
披雲閣が見えます。上からみると、大きな建物。
海沿いなので櫓の窓から一枚。風も気持ちよく癒される景色。
1時間しかなかったので駆け足で見て回ったけど、もうちょっと見てたかった。思っていたよりも見どころが多くあるお城でした。
Part2へ続く。